ここ数日風が強いですね(そしてこざむい)。ニュースでは季節外れの台風が話題です。
私事ですが、最近バイクで事故りまして、転倒の瞬間(これは今でもはっきり覚えてて)まず手を見ました。それから、ちゃんと動くだろうか…という恐怖の中おそるおそる指を動かしました。
日々の暮らしの中で、ケガや病気で手足を失うことが、ある。今回の事故でそれを痛感しました。そして痛感とまではいかないも、意識するタイミングがもうひとつ。患者さんとのリハビリのときです。
先日のリハビリでの出来事。
ケガで右手が利かない患者さんのリハビリをしてて、飯がうまい店の話になり、「〇〇さん、そういえば料理とかするんですか?」という流れに。
唐突ですが、片手で料理をすることの考察を少々。
問題は固定の難しさ。調味料のボトルキャップをひねる、ためにはボトル本体を固定しなければならない。液体調味料の計量もそうで、スプーン側が安定してないとうまくいかない。食材のカットは、材料の固定もだけど、まな板の安定も大事。
みんなどうしてるんだろうと思ってネットを見ると、補助具や工夫で何とか賄ってる。
見やすくて分かりやすい。勉強になります。
Youtubeには片手(麻痺)での料理の様子がアップされていました。
動画では、親指を固定に活かすため、包丁の持ち方がミソであることが紹介されています。
片手でのスライサー操作。手を切ってしまうことがあって危ないけど、これがもっちさんの普段の風景。ついつい安全より楽をとりがち。分かるような気がします。
料理をするかという質問への答えはノーでした。ケガする前は普通にやってたけど、今は難しくて、気も向かないと。
今回「片手 包丁」で検索して色々見てみて驚いたのが、ちらほら目にとまった、料理の楽しさや、どうにかこうにか出来ることへの気づきの声。
片手になって、何かをはじめるということの壁。五体満足の私からは見えない透明の壁。
質問した患者さんにはいつか、楽しさや気づきがあることを、押しつけにならないように(そっと置いとくように)自然なかたちで伝えれたらと思っています。
またあるときは、脳卒中の患者さんと、片手での仕事について話をしたことがあります。
もしも脳卒中になって片手になったら、どうするか。
片手でいけそうな仕事…。私の頭に思い浮かんだのはコールセンター。あと会社窓口の受付業務とかも出来るかもしれません。
ですが内心に目を向けると、激しく落ち込むだろうな、とか、いや案外どうにかなるかも、とか、まわりへの恥ずかしさや遠慮とか、思考がぐるぐる巡ってひとところには着地しませんでした。とてもじゃないけど、現実としては考えられない。
仕事の話に戻ります。車に手を加えたら送迎の仕事が出来るかも。施設管理や警備の仕事はどうか?Web関係は?
そうやって想像してみて分かったこと。片手での仕事はかなりの制限が在るという現実。
事故って手の動きを確認するまでのほんのわずかの間、こんな風なことも脳裏をかすめました。
幸村誠『ヴィンランド・サガ』6巻より/講談社
自分だったらどうするか。
寄せては返す心の旅は続きます。
今週はこれにて。
井上雄彦『バガボンド』26巻より/講談社